12月31日(気仙沼旅行第3日目)
午前5時10分頃,地震で目が覚めて,起床。
6時頃,お風呂へ。
部屋に戻ってから,上の弟に電話して,昨晩,今日の予定は,10時にお迎え,その後,気仙沼での見学の後,上の弟の息子宅へ行って,息子の手料理で昼食という話になっていたが,やはり中尊寺の見学をすることにしたいので,早めに中尊寺の駐車場まで連れて行って欲しいと言ったら,OKとのことで,9時に迎えに来てくれることに。
今朝も下の弟一家は,朝風呂には入らないとのことで,7時半に朝食会場へ。
8時15分頃朝食を済ませて,私は,フロントで会計(合計209,914円,宿泊費は1割サービスしてくださった。)。
下の弟一家は,売店で,お土産の購入。各職場と義妹のお姉様宅用など。
8時35分頃,一旦部屋に戻って,荷物を持って,ロビーへ。
そこで,女将さん(志津川の観洋の女将さんの妹さんで,気仙沼の「観洋」と「プラザホテル」の両方の女将さんを兼任)と久し振りにお会いして,ご挨拶。
お茶をご馳走になって,震災後のご苦労のことなど,5分程お話をお伺いした。
下の弟一家も後から来て,女将さんに初対面のご挨拶。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/01/kesennuma-women_n_10749116.html
9時に上の弟夫妻が迎えに来て,ホテルを出発。
女将さん,支配人さん,フロントの方々が大漁旗を振って,お見送りをしてくださった。
プラザホテルの下の魚市場に寄った後,途中の「花の駅」という駐車場(道の駅建設計画が途中で消滅して,広い敷地が通行車両による一時駐車の場所としての利用だけになってしまったのだそう。)で,上の弟の長男と合流後,平泉の中尊寺の駐車場に11時頃到着。
http://www.chusonji.or.jp/index.html
車を降りてから,月見坂をゆっくり昇って(下の弟は,体力が余りないので,心配したが,大丈夫だった。),暫く歩いた後,中尊寺の本堂で,1本30円のお線香を上げて,参拝。賽銭箱の向こうに巨大な賽銭箱が白い布に覆われて,据え付けられていた。初詣用。
その後,金色堂の入場券(800円)を7枚購入後,宝物館の見学をしてから,金色堂へ。
仏像を拝む場所の壁際では,白い布が張られた,大きな賽銭箱の準備作業中。
金色堂の見学を済ませてから,神社の奥のレストラン「かんざん亭」で昼食をと考えていたが,本日は,既に閉店とのことで,元来た道を下って,駐車場手前の日本蕎麦屋さんで昼食。私は,とろろ蕎麦,いなり寿司1個付(1270円)をいただいたが,下の弟は,甘酒1杯だけ(食が細い)。お隣のテーブルでは,小さな女の子2人を連れた家族4人がわんこ蕎麦を楽しそうに召し上がっていた。
昼食の後,駐車場から,車に乗って,一ノ関駅へ。2時半頃到着。
上の弟一家の車を見送った後,駅の待合室で3時半頃まで待機。
売店でコーヒー4杯を注文してから,「平泉」というお弁当(1400円)を4個買おうとしたら,3個しかないとのこと。「何時の電車ですか」と聞かれたので,「3時48分です」と答えたら,お弁当屋に電話してくれて,電車に間に合う時刻に届けてもらえるそう。20分ほどして,「遠藤さん」と呼ばれ,お願いしたお弁当4個を受け取ることができた。
3時半頃改札を通って,新幹線の改札口へ。
3時48分にやまびこ52号に乗車。
下の弟が車内販売のケーキ付きのコーヒーを注文してくれて,おいしくいただいた(びゅうのサービス券を印刷してくれば,割引になったのだが・・・。)。
6時24分に東京駅に到着。
下の弟一家と別れてから,バスに乗って,7時少し前に,帰宅。
上の弟の携帯電話に電話。応答がなかったので,受話器を置いたら,弟から電話。
「今,帰りました。お世話になりました。」とお礼。
弟は,車に乗っていたが,私からの電話と分かって,停車してから,電話してくれたそう。
「姉さんのお陰で,楽しい旅行会ができました。ありがとうございました。」と言われた。
この次の親族旅行は,3月の春分の日頃,上の弟一家を東京に呼んで,先日他界した義理の母の墓参りと寶田家・遠藤家の墓参りをしてもらってから,亡義母の長男も一緒に,万座温泉のホテル日進館への一泊旅行(ホテルへの往復は,新宿とホテルを往復するホテルのバスを利用)と,できれば,歌舞伎座での歌舞伎鑑賞(上の弟一家と義母の長男は,まだ歌舞伎座での歌舞伎鑑賞をしたことがない。)をと考えているところ。
9時過ぎに,一ノ関で買ったお弁当「平泉」を食べた。
栗ご飯の上に蒸しウニが散りばめられ,焼き鮑を初めとする各種海の幸と山の幸のお料理が詰められた上品な味付けのおいしいお弁当だった。